真宗大谷派(東) 脇侍掛軸 九字名号 南無不可思議光如来

                                                      

掛軸20代

               3,200円

総高195㎜×軸幅79㎜

掛軸30代     

               3,500円

総高245㎜×軸幅100㎜

お仏壇の一般的な飾り方

              
■■本尊とは■■
仏壇のなかには仏像が安置されていることは知っていても、本尊が宗派によって違っていることまでは知らない方が多いです。本尊とは信仰の中心として祀られている仏像や
曼荼羅(まんだら)のことです。本尊は宗派によってそれぞれ異なりますので、菩提寺の宗派に合わせて選びます。本尊が宗派ごとに異なるのは、各宗派により教義や仏教の理想の求め方が違うからです。本尊の形式には、お姿のある仏像と、絵像の掛軸があり、寸法は、仏壇内部の大きさに合わせて選びます。仏像には、木彫仏像や鋳造仏像などがあります。本尊は菩提寺を通して本山からいただく場合もありますが、一般には仏壇店から購入し、お寺さんに魂入れ(たましいいれ)をしていただきます。本尊は、仏壇の中心である須弥壇(しゅみだん)の上に安置します。より丁寧にまつるには、その両脇に脇掛(わきがけ)という、宗派で定めている祖師像などの掛軸を安置します。ご本尊は、仏壇の中央上部に安置し、他の位牌と同じ高さにしないようにしましょう。掛軸は仏壇の裏板に鋲で留めるか、掛軸台にかけて安置します。

■■真宗大谷派■■
ご本尊は阿弥陀如来のご絵掛か仏像(立像で光明を簡単にあらわした「後光」のある絵像)を奉安し、右脇に十字名号、左脇に九字名号をおかけします

■歴史■
親鸞は幼名を松若丸と言い、藤原氏の一族の流れをくむ公家・日野有範の子供として、承安3(1173)年に生まれました。幼くして父母を失ったこともあり、9歳の時には比叡山に上がり、天台宗の慈円僧正の下で出家しました。29歳の頃、山を下り、京都の六角堂に百日参籠を行い、そこで聖徳太子からの啓示を受け、法然を訪れ、彼の弟子となりました。比叡山での親鸞の生活を物語るものは残されておらず、また何故に山を下りたのか定かではありません。いずれにしろ、法然に出会うことで念仏に触れた親鸞は彼を生涯の師と定め、一路念仏の道に突き進んでゆくことになります。しかし、その僅か数年後に法然は念仏弘通を止める様命令を受け、土佐に流されてしまいます。親鸞もまた越後に流されてしまいます。越後に流された親鸞は還俗させられ、藤井善信と名を改めますが、自らは非僧非俗を標榜し、愚禿と名乗る一方、恵信尼と結婚し子供をもうけます。やがて法然は許され、京都に戻りますが、親鸞は更に越後に留められ、この地を出ることになったのは法然が入寂してしまった後のことでした。
親鸞は師がいなくなった京都には戻ることは無く、新天地である関東に向かい、常陸を中心とした活動を広げてゆきます。この頃の親鸞は弟子を育成する共に、浄土真宗の本典とも言える「教行信証」を著しています(この書が著された元仁1(1224)年が浄土真宗立教開宗の年とされています)。60歳を迎える頃になると、その教えの充実を図るため、経典を揃え易いなどの環境の整った京都に再び赴きました。晩年は常陸に残した息子が権力者と結び、弟子・檀家に専横を働いたことから義断するなどの波乱はあったものの、精力的に数多くの著作を完成させ、90歳でその生涯を終えています。

■教え■
初期の仏教は成仏するために様々な実践行が求められていました。しかしブッダの場合、その前世において功徳を積み重ねてきたからこそ、わずか一生涯の修行のみで仏になることは出来たものの、我々の様な普通の人間が容易になし得ることではありませ。その修行も様々な戒律を守り、経典を研鑽するというもので、日常生活を送る者にとっては成し難いものでした。
こうした「普通の人間は所詮、今世では成仏出来無いのか」という疑問から、実践行を通じて自力で仏に成ることに反省が生まれ、自分の力で成し得ることをした上で、その後は仏の加護、救済にゆだねれば良いのではないか、という他力思想が生まれて来ます。そのひとつの結論が法然の打ち出した念仏の考え方でした。 即ち、ひたすらに「無南阿弥陀仏」と唱えながら、阿弥陀仏の他力にすがるというものです。しかし、これとて念仏を唱えるという自力の行を認めるものでした。これに対して親鸞は、念仏することそれ自体が、既に阿弥陀仏の他力によるものであるという絶対他力の考えを打ち出したのです。法然の念仏は、あくまでも行であり、阿弥陀仏の救済を期待して行うことが求められている点で異なります。一方で、親鸞の念仏は自分の意志によるものというより、自然に口からほとばしる念仏、であり、自力では仏に成れない者も見捨てることなく救って下さる阿弥陀仏の慈悲を前にして、思わず口をついて出る報恩感謝の念仏なのです。親鸞の妻帯も、そうした在家者を中心とする考え方の現われのひとつと言えるでしょう。実は法然も自身は妻帯しなかったものの、出家者の妻帯を認めていました。しかし、親鸞が自らの欲望を素直にみとめ、妻帯に踏み切ったことは、自らの教えが在家者を中心としたものであることを身をもって示したものとも言えます。

 ◆開祖      親鸞聖人(1173~1262)
 ◆本尊      阿弥陀如来立像
           ●寺院 頭光のみの阿弥陀如来立像
           ●在家 木像を祀る場合は本山に準じる。絵像の場合は六條藤、
 ◆脇侍      ●寺院 内陣右奥に宗祖親鸞聖人、左奥に蓮如上人(中宗大師)または前住上人の絵像をかける。
              また、余間には聖徳太子、左余間には聖徳太子と七高僧の絵像をそれぞれ祀る。     
           ●向かって右に「帰命尽十方無碍光如来」の十字名号、
             左に「南無不可思議光如来」の九字名号の掛軸を祀る。
 ◆経典       〈根本経典〉 「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」
            〈在家経典,聖典〉「正信念仏偈」「和讃」「御文章」「讃仏偈」「重誓偈」                
 ◆唱名      南無阿弥陀仏
 ◆浄土真宗系教団  浄土真宗本願寺派 本願寺(西本願寺)真宗大谷派 本願寺(東本願寺)真宗高田派(専修寺)真宗興正派(興正寺)
              真宗仏光寺派(仏光寺) 真宗三門徒派(専照寺) 真宗誠照寺派(誠照寺) 真宗木辺派(錦織寺)
              真宗出雲路派(毫摂寺) 真宗山元派(證誠寺) など