もはや交響曲という殻、さらには音楽という枠自体を突き破らんばかりの、衝動的なエネルギー、大噴火するような思想。ベートーヴェン、特に第5や第9を演奏するということは、そういうとてつもなく破天荒で、天才的なものを表現しなければならないということだ。そこの、一番大事な問題の前には、細かいあれこれは結局二次的でさまつなことに過ぎない。特に第9からは、オーケストラの優劣も技術も、国籍も人種も、何もかも超越した、理屈では説明しきれない「何物か」が感じられなければならない。
???佐渡の演奏には、もっとも大切なその核心部分が確かにある。やむにやまれぬ思い、ひたむきで切実な思い。そういったものが新日本フィルの響き、特に弦からはよく伝わってくる。要所要所での弦のアタックの強さ、時おり訪れる大きなフレージングは素晴らしい効果を生む。特に第3楽章の後半部には感激的なものがあり、第4楽章も、確かに心から心へと「何物か」が熱く伝わってくる。狂喜乱舞感が沸きあがる最後近くでのピッコロの目覚しい活躍も印象的だ。
?「このような音楽ではなく、もっと、もっと!」とベートーヴェンが思わず歌詞を書き加えたほどの嵐のような霊感が演奏に再び宿るためには、表面の整った演奏よりも、むしろ荒削りで「思い」をたっぷりとのせた、こうした演奏でなければならない。(林田直樹)