1937年(昭和12年)に発表された第三次艦船補充計画(通称マル3計画)によって、大和型戦艦や陽炎型駆逐艦と共に計画され、同年12月12日に横須賀工廠にて建造が始まった。福地周夫(翔鶴初代運用長)は、1号艦が戦艦「大和」、2号艦が「武蔵」、3号艦が「翔鶴」、4号艦が「瑞鶴」と述べている[2]。1939年(昭和14年)4月1日、伏見宮博恭王立会いの元で進水、記念絵葉書と硝子製翔鶴艦型文鎮が配られている[4]。
日本海軍の軍艦としては、初めて球状艦首(バルバス・バウ)を採用し最大速力34kt の高速性を得た。機関出力は16万馬力で、大和型戦艦をも上回る。防御能力についても、機関部や弾薬庫などの艦主要部は巡洋艦の砲撃に十分耐えられるよう装甲が施され、炸薬量450kg の魚雷にも耐えうる水雷防御が施されるなど充実した性能を持つ。しかし、英空母や次級の大鳳型航空母艦のように飛行甲板の装甲は有しておらず、500kg爆弾が命中すると航空機の運用ができなくなる。また、ダメージコントロール分野に関しても同時期の米英空母に見劣りする面があり、ミッドウェー海戦での4空母損失の教訓から、可燃物の撤去や可燃性の塗料などを使用しないなどの運用上の工夫でカバーされていた。
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