艦コレ 金属製洋上模型  インターナショナルスケール1/1250  日本海軍 戦艦 榛名

 

 

材質 真鍮、錫合金

本艦は当初「第二号装甲巡洋艦」として計画され、1911年4月、神戸川崎造船所(のちの川崎重工業)に発注された。本艦は、それまで海外発注か海軍工廠でしか建造されることのなかった、いわゆる主力艦として初めて民間造船所に建造発注された艦である。一方、三菱合資会社長崎造船所(のちの三菱重工業)にも「第三号装甲巡洋艦(後の金剛型戦艦四番艦・霧島)」が発注され、工程の進捗状況がほぼ同時であったことから、両社は激しい競争意識をもって建造に当たることになる。

工事もかなり進んだ1914年、1つの悲劇が起きる。この年の11月18日に機関の繋留試運転が予定されていたが、直前に故障が見つかったため予定が6日遅れることとなった。本来であれば試運転が実施されるはずだった18日の朝、機関建造の最高責任者であった川崎造船所造機工作部長・篠田恒太郎(しのだ・こうたろう)が自刃してしまったのである。遺書などはなかったが、繋留機関試験遅延の責を感じた上だということは明らかであった。当時の軍艦建造は、それほど重大な責任感を持って行われていた。

篠田の死から半年後、巡洋戦艦榛名は、同型艦霧島と同時に竣工、海軍横須賀鎮守府に引き渡された。これ以降、民間造船所でも主力艦の建造が行われるようになる。なお、霧島と同時竣工したのは、篠田自刃の報を受けた海軍が両社へ配慮を促したためである。